新型肺炎を巡って、国会や行政が大慌てで対応し、gdgdな展開で新型ウイルスの感染拡大をワザと行っているようにも見え、政府に完全に失望しつつも「何とか打開策を考えなきゃ」と複雑な思いをしながら、今日一日を過ごした。ここまでゲンナリと来た日は、久々だ。
多分、ここまでくりゃ敗戦国の末路……ならぬ、無政府状態も待ったなしの状態になってしまうんでしょうな() って感じで傍観するしかないのだが、こういう時こそ読書でも。物凄いタイムリーな話として、「失敗の本質」(中公文庫)は今の新型肺炎騒動と合致し過ぎるのである。
「失敗の本質」を当てはめてみた。
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失敗の本質は、第2次世界大戦で日本軍が敗北に至った経緯を分析する上で、日本軍組織の問題点を客観的に分析・指摘した名著。どう考えても勝てないと分かってるのに、当時の日本軍の空気とノリで戦争に突っ切った結果、逆に事態を深刻化させたという話であり、そこから現代社会において、組織の中で動くことに対する教訓・戒め・アドバイスを示している。
今回のウイルス騒動も、よーく考えると別に全国一斉休校など、しなくて良かった話。せいぜい学級閉鎖程度に留め、どんなに水際作戦を行っても感染拡大は回避できないため、「個人で出来る最低限の範囲」と「多角的に情報を仕入れ、分析し、専門家のアドバイスも交えながら、適切に指示していれば、今ほどまで大騒ぎになることはなかった」「感染ウイルスのパターンを出来るだけ早期に分析し、適切にワクチン接種を行い、混乱を避ける」といった考えが出てくるはず。
また、死者の数ではなく、亡くなられた方の殆どが高齢者であるのをみてみると、真っ先に隔離させないと行けないのは、寧ろ年寄りの方であり、健全な子供~成人ならば、ムリのない範囲で経済活動を行えば、便乗倒産や風評被害の拡大も、ここまで大きくならなかったのでは?どうでもいいことやけど、新型肺炎とは別のインフルエンザに関しては、何一つ騒いでない(対策ワクチンがあるため)が、これも並行して考えないと、無邪気な子供までもが別の病気にかかる恐れがある。
総理を含めた政府も、「分かっちゃいるけどさぁ、でも思うように行かないんだよー」と「のし上がってくる部下を、どうやって鎮圧するか」みたいなノリで、国民よりも永田町・霞ヶ関で凄まじい場外乱闘が起きている。どこぞの関ヶ原の戦いですかい。コレも第2章の「失敗の本質」にある「対人関係、人的ネットワーク関係に対する配慮が優先し、失敗の経験から積極的に学び取ろうとする姿勢の欠如」そのものではないだろうか。
日本人の民族性って、何なんだろう?
「失敗の本質」の初版から随分と経過したにも関わらず、同じ失敗を何度も遠慮無く繰り返す原因って、何なんだろうかと個人的に考えてみた。単純に「日本人の民族性」と言うのは簡単だが、それでもいくつかの要因はあると考える。
一つは単に、そもそもそういう本(知的資産)を知らないもあるだろう。「失敗して何が悪いんだ、俺のかってだろ、エッ!」と言うのが今のトップリーダーの考えだとすると悲しくなるが、こうした自分の論理に当てはまる人選だけで物事を進めるのを見ていると、実は日本人は集団主義でも何でも無く、欧米諸国顔負けの「超・個人主義じゃないのか?」すら見えてしまう。
集団主義であるならば、隣国の中国や遠いアメリカのように、バックヤードに凄腕のプロがいて、そこから的確に指示を出すことで軍団戦で対峙していくが、日本はどうかというと「何となく周りがそう動いてるから、自分もそうしよう」という感じか。でも、その「周り」とか「みんな」と言うのは、自分自身が勝手にそう描いた想像が、偶然にも他人と共有することで集団的に動いているように見えるだけだと考える。
もう一つは「理解できていたとしても、相手の気持ちに遠慮しないと、出世が出来なくなったり、自分の身に何かが起こるのでは?」という、ある種の恐怖心(思いやり・忖度)みたいなのが根にあるからだと思う。トップリーダーとは聞こえは良いが、実際の所は「過去の経験の焼き増し」を行うことで、何となく今の時代の流行に乗っかっているかのような錯覚を覚えるのだろう。
今の総理も、第1次内閣の時の大失敗があるため、そのコンプレックスを撥ね除けるために、手段を問わずに実績作りを行ってきたとは思うが、組織内の対立が激しくなるにつれ、自分がいつ、「王将」のコマを取られるか分からないという不安から、取りあえず事態を沈静化するために3月中旬までという目標を定めたとは思うが、目に見えない敵相手に何とか乗り切れるとは思えない。
それを思うと、割と日本人ってのは「災難があった時はお互い様だけど、普段は割とラテン気質」みたいな民族なのかな。
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国難だからこそ……っていうけど
どっかの登山家が「苦しいときこそ国民全員で辛抱しろ」と発言して話題になっているが、多分、コレは現代の日本人(とりわけ若者あたり)には殆ど響かない。「何言ってるんだよ、自分の命が先に決まってるじゃんw 敗戦国になりたいのか?」とツッコミが入っているが、このことから察するに、日本人は情報収集が下手とは思えない。寧ろ、自分の保身を考えるならば、出来るだけ情報をたくさん仕入れ、精度を分析し、そこから左右の思想を出来るだけ取り除いた上で、次のアクションを考える。
新型肺炎が猛威を振るって、それ以上に政府に対する不平不満が出ているが、コレをどう解釈するかは人それぞれ。ちなみに私は「そうした意見もあるんだな、でもワイは我が道を行こうか~」程度しか思っておらず、そもそも政府のgdgdっぷりを見ている限り、もうまもなく無政府状態突入やな(ニッコリ)と、生温かく見守っている。一方で、厚生労働省を初めとした公的機関の情報は確実に仕入れつつ、「手洗い良し・うがい良し・消毒良し・三方良し!」を徹底することで、どうにか感染を回避するに徹しているのが現状だ。
どうせ事態が落ち着いたら「私の責任です、すんましぇん」みたいな感じで撤収するだろうから、今、総理や政府を責めても仕方が無い。それより、千葉市長のこの言葉の方が遙かに大事だと思うんですよ。
まさにソレ。良いところは良いで評価し、ダメな所はダメと、左右問わずにツッコミを入れる。これが解決への近道だと思うんですよ。
まあ、そう言っても、分断工作のために擬似的な民族間紛争が長期化するのは、多分、避けられない。見てて疲れるし。それより今は、自分がやり残したことや、どうせならネットとは距離を置いて、読書に専念するなどして自分の中での負担軽減を済ませた方が良さそうですな。
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