夕刊フジが来年1月末(1月31日発行・2月1日付)で廃刊になるのは既出通りだが、ココで疑問に思うのが「紙媒体はともかく、なぜ電子版まで消えてしまうのか?せめてZAKZAKぐらいは残しててもいいのでは?」ということである。
結論から言うと、電子版は紙媒体で発行される紙面を電子化しただけなので、電子版専用にマネタイズしたものではない。とてもじゃないが電子版は売れないし、ニュースサイトの広告料も年を追うごとに削減・PV単価の大幅引き下げが続いている状況なため、数年前まで叫ばれていた「完全電子化こそ、日本の報道が生まれ変わる」というのは、完全なデタラメ&幻想ということになる。
逆説的に言えば、新聞業界としては、本当は電子化ということには内向き反対の姿勢を貫いていることにも繋がる。「電子版はフェイクだらけで、紙媒体こそ真実が刻まれている」が業界のお約束トークだが、別の言い方でいえば「紙媒体で得られた軍資金から、日本の報道屋はよくも悪くも堅持できていた、卓越した分析記事をたくさん書くことができた」というのが実際のところだろう。
そもそも、紙の新聞はどうして "売れていた" のか?
取材記者は現役・ヤメ記者ともども口揃えて「魅力ある記事を書き続ける」「真実に踏み込んでモノを言うことが出来るのは、国民から選ばれた我が記者である」と叫ぶ。
だが、「書けば売れる」を盲信した結果、フリージャーナリストになって散々な目に遭った元記者は、SNSを通じて沢山見てきた。会社員記者時代の経験をフルに活かし、得意分野に精通して会社を立ち上げ、あるいは気の合う仲間同士でジャーナリズムユニットを組んだりするも、書いても書いても広告収入や記事が全く売れず、最悪、会社が授けた退職金等も底を尽き、ネタに困って右傾化・左傾化・限界界隈に闇墜ちしていく人も沢山観ている。
ざっくばらんに言えば、日本の新聞が売れるのは「販売店に新聞を卸して貰ってるから」である。
新聞社は報道・調査部署とは別に、作った新聞を売り捌いたり、フランチャイズ契約を結んでいる街の新聞販売店に対して仕入れ・経営指導・ロイヤリティー徴収等を行ったりする販売部署(販売局)という組織がある。
本来は本社の販売部署が新聞の売り捌き等をすべきことではあるものの、あまりにも広範囲に新聞を売り捌くため、とてもじゃないが販売部署だけでは太刀打ちできない。そこで、前述の「街の新聞屋」に対し、販売に対する業務(配達・集金・部数拡大営業(拡張)・チラシ配布のための準備・顧客管理)をフランチャイズ方式で契約し、そこに委任させる形で経営を行って、ロイヤリティーを徴収する方式を採用している。
本社はFC店に対して新聞を卸して貰うように指示、または交渉し、販売店側がロイヤリティーを一定数支払うことで、販売店と販売部署の連携・軍資金を確保して本社の売り上げに計上させる。この「どんだけ販売店に卸させて貰うかどうか」は新聞社ごとに対処が異なるものの、基本的にはガッツリといただくことになっている。
この仕組みを読者が知らないのはともかく、肝心の新聞記者は殆ど知らない(知ってる方が珍しいレベル)。記者はずっと取材のために警察・国会・中央省庁・企業・地方の役場・市民団体()などに詰め寄って取材を行うため、紙媒体がどのように売れるかは知らない・知ろうとしない。編集記者も締め切りまでに編集部署(+共同通信)の上司による会議・校閲・紙面製作・レイアウトチェック・データを印刷工場に送るための手続き等をしないといけないため、やはり、紙媒体の新聞がどのようにして売れているのかはサッパリ分からない。
これが「新聞は書けば売れる」「日本の新聞は世界一正確。ジャーナリズムすぎて最高!」という錯覚を生み出す。実際には、そこから印刷→配送→FC店業務(宅配→集金・拡張・顧客管理等)を行うことで、初めてマトモに新聞が売れるので、このことに気づいていれば、別に紙面なんぞ何だっていい、紙媒体の宅配・集金・ロイヤリティー支払いさえ行えればそれでいい、という形になる。全国紙・地方紙がどんなに世の中を動かす特ダネ・スクープを報じたとしても、である。
"本当の意味" で新聞が売れなくなっている最大の理由
このことを前置きした上で、記者・ヤメ記者共々が口にする「日本の新聞はどうして売れなくなったのか」を解説すると、下記の通りになる。決して「イデオロギーだから(左派 or 右派思想の記事を乱発するから)だ~」とか「紙媒体の魅力を感じないからだ~」とか「記者のレベルが下がったからだ~」とかではないのでご安心を。
単なる需要の変化
昔であれば、情報のチャネルは基本、テレビ・ラジオ・紙媒体新聞に固定され、必要に応じて紙媒体雑誌も加わっていたため情報源が限られており、リソースも限定的だったことから、紙媒体の新聞は喜んで受け入れて下さった。しかし、スマートフォン・PC端末を駆使したインターネット回線が当たり前となり、無料で大量の記事を閲覧できるようになれば、質より量に勝ってしまうため、どうしても紙媒体の新聞は力負けしてしまう。
結果、「電子版でいいや」→「紙媒体要らない」→「販売店に大量の売れ残りが生じる」→「販売店が耐えきれなくなる」→「店潰れる」→「軍資金が消える」→「予算削減」→「新聞に魅力を感じない」→「電子版でいいや」→「紙媒体要らない」→「販売店に大量の売れ残りが生じる」→「販売店が耐えきれなくなる」→「店潰れる」→「軍資金が消える」→「予算削減」→「新聞に魅力を感じない」→(無限ループ)となり、悪循環に陥る。
販売店のロイヤリティー支払い不能・広告収入の減少
前述の話を補強すると、読者が減るということは、それだけ発行部数にも多大な影響を及ぼす。「減る」ということは、広告主の視点からみれば「客がいないから、広告投資するのやめとこ」ということにも繋がるため、新聞の広告欄・オリコミから撤退、または縮小することになる。
すると、その分の収入が途絶えてしまうため、販売店はさらに貧乏になるし、新聞の紙面に広告が載らずに部数減を懸念した新聞社(販売部署)は、販売店に部数を維持するように協力を求める。でも、店も読者減+オリコミ削減による赤字で対処できなくなり、最終的には潰れてしまう。そうすると発行部数が減ってしまうため、新聞社に入る軍資金も減らされてしまい、痩せ細る。
販売店の統廃合による、更なる労働環境の悪化
販売店がその街から消えたとしても、大抵は隣接する別の販売店がそれを引き継ぐため、スグには消えることはない。しかし、他店の販売業務を引き継いだ販売店にしてみれば、配達区域が非常に高大になるため、販売店の所長・家族・従業員・配達員全員が出動しなければならなくなり、疲弊する。結果、特段正社員・準社員でもない、大抵は掛け持ちでやり過ごしている一般的な配達員は、広域化に伴う本業への影響を懸念して離職しやすくなるし、販売店も憤怒が収まらない。
私は全ての銘柄を一斉に取り扱う店舗を「グランドスラム」と言っており、まさに自分の店がそうなんだって話だが、異なる銘柄を時間内に配達しないといけない、しかも部数が極端に多いので捌ききれない、疲れてヘトヘトになった状態で配達すると、早起きしてる年寄りからアレコレ言われてインセンティブを無くしてしまう。
で、待ち受けるのは「配達不能が原因で店が潰れた」であり、潰れた店を他店が預かって(以下略)となる。これは非常に悪循環である。
年寄りや熱心な愛読者がこうした配達の現場を知らない・知ろうと思わないというのは仕方の無いことではあるが、取材記者や編集部署が知ろうとしないのは、マジで腹立つ。もっと現場を見ろよ、見る相手は自分たちが大好きな市民活動家・社会運動家じゃないだろ、と。
結論
昭和文化から平成・令和時代の文化にすっかり置き換わった現状からして、どんなに紙媒体を通じて新聞の魅力を伝えても、共感して下さるのは紙媒体で慣れてきたご高齢の方に限定される。この状況下では読者をペイするのも限界があるため、正直、時間の問題である。私は適当に「よくて2020年代まで・2030年代が大きな変化が起きる」と思ってるが、昨今の紙媒体・印刷工場見直しの話が飛び込んでくるあたり、前倒しで新聞業界の再編とか普通に起きるかなとみてる。
日本は「客観的にありのままに伝える」というのが絶望的に苦手で、とにかく報道とワイドショーが一体的に雑談をする「座談会」が超大好きなサラリーマン記者である。よって、取材費が完全に底を尽き、新聞制作をする余裕すら無くなった場合は、専ら小説(フィクション)・政治雑談の話だけで紙面を埋め尽くし、「その時」が来るまで、ず~っとどっかの宗教団体の機関紙にある座談会で政治的誹謗中傷罵倒をしまくった方が、案外、長生き出来るんじゃないですか?知らんけど。
参考記事: