そらマメさん鉄道局・流通局

鉄道旅行・新聞の流通考察・雑談がメイン。

戦後80周年 現実的に後世に伝えるための努力を考える

 8月は第二次世界大戦末期に、広島・長崎への原爆投下、旧ソ連軍による侵略行為、そして終戦記念日が重なる、戦争と平和を考える月間である。

 私は小中高校の時までは熱心に平和教育に夢中になっていたが、いつの頃か、平和を熱く語るだけでは戦争が無くならない、なぜ戦争が無くならないのかを違う角度から考える必要性があると思うようになった。

 原爆投下の日や終戦記念日では、式典会場で左派・右派それぞれが罵倒合戦を行ったり、歴史認識問題でそれぞれの立場がイデオロギーをムキ出しにして熱く語り合うのがお約束になっている。

 確かに日本軍の大失敗が原因で、米軍をはじめとした連合軍によって一方的に敗戦に追い込まれたのは紛れもない事実だし、その負の歴史を次世代に継承していくのは、生き残った次世代の国民全員が背負うべき使命感なのだが、一方で、そうした当事者がご高齢となって亡くなられる状況下では、どんなに語り部を登用したり、当事者じゃない人たち(被害者・被爆者2世・3世など)が戦争の悲惨さを感情込めて語られても、今ひとつ「どこか遠い過去の話・他人事」のように聞こえてしまう。

 それは、今の平和教育が、どことなく形式的で当事者意識というのが薄れているからではないかとみている。日本が平和国家であるべき理想の姿を成し、表面的には軍を持たない(憲法9条の武力放棄)としていても、実際には防衛機能を持った自衛隊や、それに伴う日米安保条約集団的自衛権による後方支援は普通に行っている訳だし、諸外国に目を向ければ、大なり小なりで紛争・戦争というのが普通に起きている。

 実のところ、「日本が平和であればそれでいい」というのが当事者意識の形骸化・希薄化を招いているのも一説としてあるのではとみている。それを踏まえると、現状の平和教育に足りないのは、「当事者意識」と「なぜ戦争が起きるのかを事前に知ることで、戦争回避のためのシナリオや対策を多角的に考えること」ではないだろうか

現代社会における、「なぜ戦争をするのか」という問いに必要な視点】

  • 資源の奪い合いで戦争
  • 民族・宗教・言語・領土といった、「自分たちらしさ」(自国・民族的アイデンティティー)が守られないと、対立が激化しやすい
  • 敵意が作られ、世論誘導が起きて、戦争が必要だという構造への対策(情報戦・認知戦)。
  • 国際秩序が保たれないと、弱者が暴力で訴えるしか手段が無くなる。

【戦後の平和教育(特に語り部)、ここが課題】

  • 戦争体験者(≒語り部)には「語るべき内容」が事前に期待されており、個人的な感情や矛盾・語られない当時の戦前・戦時中の生活や日常などは抑え込まれてしまう。
  • 悲しみ・恐怖などの感情が「お約束」となり、聞き手の感受性を揺さぶるリアリズムではなく、説得力のある「演出」に傾く。
  • 語り部の証言は道徳・平和教育のダシに使われやすく、複雑さよりも整合性を求める。
  • なぜ、日本軍が暴走して、絶対に勝てるはずがないアメリカと喧嘩する道を選んだのかを、当時の情勢や空気、更には経済情勢・国内情勢も踏まえて、客観的に説明できない。
  • 語る時だけ「反戦の象徴」になるが、それが終わると、一個人の生活として静かに日常に戻る。その演劇的構造が、感情と生活の乖離を生み出してしまう。

 戦後80年だからこそ、いつまでも演劇的な戦争体験とは距離を置き、より現実的で、現実社会との乖離を縮めることでリアリズムを追求する路線へ転換すべきかなとみてる。そのために出来ることを、素人な私から幾つか提案すると、多分、下記の通りになる。

  • 前提として、伝達が曖昧な語り部は「戦争芸能」という立ち位置に変える。
  • その上で、生き残った被害者・被爆者の証言は、その人の客観的事実・歴史考察資料という文献に留める。また、証言を「唯一の事実」とせず、複数の事実から歴史像を組み立てる力を持たせる。
  • 平和教育の過程で、戦争を構造的に読み解くパートを重視する。具体的には第二次世界大戦をはじめとした、近代戦争の成り立ち・政治判断・国内世界情勢・原因とメカニズムを重点とした教育に変更する。
  • 戦時中の話も、日常のリアリティーを混ぜつつ、現代社会と比較して、生活や価値観の変化と継続を見つめて、歴史を自分事として捉える工夫を持たせる。
  • 諸外国の紛争事件をも取り入れ、悲劇で留めるのではなく、「戦争の発生要因」と「どうすれば回避が可能か」を、社会構造・制度・言説の面から考え直す機会を与える。

ザツだん

 10年間新聞配達を続けているが、時の首相が誰であれ、社会情勢が大きく変わった状況下でも、思考停止した平和団体や一部の過激派による反戦主張と、語り部による「昔はああだった」という話ばかりであり、保守系メディアですら論説がそれで固定化されてて、「そういった人たち」に対する忖度をする姿勢にウンザリするばかり。

 ビジネス書でありながらも、組織が崩壊する原因を日本軍に例えた「失敗の本質」という書籍があるが、アレだって「場の空気・前例主義・都合良く解釈・絶対勝てないと分かってても、絶対勝てるようにデータを改ざんする・学習しない・言い訳する・現場を無視」といった、日本軍のダメな所が凝縮している。

 それを、現存する平和団体やその手の活動家・ジャーナリストやらが「継承」してしまうあたり、日本で歴史観の検証や抑制のための土壌を作ることなど、まあ、難しいだろうな。まさか時を経て、日本軍の過ちを平和団体やらが犯すとは、何とも皮肉である。