久しぶりの県版めぐり。今回は愛媛県内の新聞流通考察について。
愛媛新聞のシェアが多い土地柄
松山市に本社を置く地元紙・愛媛新聞が圧倒的なシェアを誇る土地柄であり、他の全国紙は影に隠れがちである。一方で、愛媛県(特に松山市)は四国の首都としての側面もあることから、地方紙・全国紙共に複数の取材拠点を設けている。
版立て
愛媛県内の取材拠点
愛媛新聞
- 本社報道部:松山市大手町1丁目12-1
- 東予支社(四国中央・新居浜)
- 南予支社(八幡浜・宇和島)
- 支局(西条・しまなみ・久万高原・大洲・西予・愛南)
- 印刷工場:愛媛県伊予市下三谷1-7([E11][E56] 松山道・松山IC or 伊予IC最寄り)
読売新聞大阪本社
朝日新聞大阪本社
毎日新聞大阪本社
- 松山支局:松山市一番町3-3-6
愛媛新聞
県紙の愛媛新聞は、1876年に創刊された「本県御用・愛媛新聞」がルーツになっている(その1年後に「海南新聞」と改題される)。その後、1902年に「南予時事新聞」が、1923年に「伊予新報」が創刊され、1941年の一県一紙体制で無理やり合併された結果、現在の愛媛新聞が誕生して今に至る。
戦後まもない1949年には夕刊を発行していた(発行当初は別会社扱い、その後、愛媛新聞と合併してセット版へ移行した)が、1992年に休刊。現在は朝刊のみの発行に留まっている。
印刷工場は伊予市に構えており、そこではデイリースポーツ瀬戸内版と日刊スポーツ(大阪)の受託印刷を行っているという。
地域面は「ワイドえひめ」として3ページ構成になっており、うち1ページは地域の伝言板コーナーという構成になっている(日曜日版を一部買いしたため、必ずしもこの構成とは限らないことに留意)。一方で愛媛県といえば「俳句」として知られることから、文化面には県内の読者による俳句コーナーが設けられるなど、県の事情に考慮した紙面作りを行っているように感じた。
全国紙
読売・朝日・毎日・産経(大阪本社管内)の地域欄
全国紙の地域欄は1~2ページ構成になっており、いずれも愛媛新聞のソレと比較すると読者層が少ないことから、情報も限定的である。朝日新聞の日曜版を一部買いした時は俳句コーナーが設けられていたが、コレも常時掲載なのかは現段階では把握できない。
愛媛新聞よりかは取材拠点が少ないものの、それでも読売新聞と朝日新聞は、瀬戸内海の工業地帯(四国中央市・新居浜市など)・松山市・南予地域(八幡浜市・宇和島市)に支局・通信部を設けている様子。産経は取材拠点がない。
日本経済新聞
日本経済新聞(大阪本社)の四国向けは、全てモノクロ印刷が基本となっており、日曜日の「THE NIKKEI STYLE」の部分も、普通の新聞紙質で一部のみカラー印刷に留まる。夕刊は発行しておらず、お隣香川の四国新聞社に印刷業務を委託している。
番組表
愛媛新聞と接点の深い南海放送とテレビ愛媛が先に来る配列になっており、NHKは右側に配置されている。
注目すべき点としては、最終面の1つ手前にあるBS・CS・隣県・ケーブルテレビの番組表で、ココだけで2ページも確保されている。愛媛県は瀬戸内海・周防灘・豊後水道・日向灘沿いに面した土地柄であるため、一部地域では隣県の民放を直接・間接的に受信しやすい。その一方で山間部では愛媛4局(+α)が受信しづらい環境も存在することから、ケーブルテレビ経由で受信可能なBS・CSチャンネルの番組表も載せることで、融通を利かせている。
【愛媛新聞に掲載されている、隣県・BS・CS・ケーブルテレビ局一覧】
- 岡山・香川県(RNC西日本放送・KSB瀬戸内海テレビ・RSK山陽放送・TSCテレビせとうち・OHK岡山放送) ……瀬戸内海
- 広島県(RCC中国放送・HTV広島テレビ・HOME広島ホームテレビ・TSSテレビ晋広島) ……瀬戸内海
- 山口県(tysテレビ山口・KRY山口放送) ……周防灘沿い
- 大分県(OBS大分放送・TOSテレビ大分) ……豊後水道・周防灘・日向灘沿い
- BSチャンネル(BS日テレ・BS朝日・BS-TBS・BSジャパン・BSフジ・WOWOW・スターチャンネル・BS11・BS12トゥエルビ・BSスカパー!)
- CSチャンネル(時代劇専門ch・カートゥーン・チャンネル銀河・AXN・ディズニーチャンネル・キッズステーション・宝塚ch・スーパードラマ・シネマ・アニマックス・LaLaTV・ムービープラス・歌謡ポップス・スペースシャワー・日本映画専門ch・NECO・東映ch・ゴルフ・ホームドラマ・ファミリー劇場・テレ朝ch・日テレ+・J SPORTS・TBS ch・フジテレビONEなど)
- ケーブルテレビ(愛媛・愛南・宇和島・西予・西瀬戸・四国中央・今治など)
全国紙の番組表は、新聞社とそのキー局と接点のある系列局の順番に並んでいる。
かつて存在していた地方紙
日刊新愛媛
1970~1980年代にかけて存在していた第2の県紙。造船メーカーの来島どっく(現在の法人は改組)を経営していた愛媛県の実業家・坪内寿夫氏が社長に就く形で、廃刊寸前だった「新愛媛」(旧・高知新聞系)を強烈な拡販工作(廉価な購読料・景品バラマキ)を経て部数を大幅に拡大し、愛媛新聞を追い抜いた。
ただ、坪井氏が当時の愛媛県知事だった白石春樹氏とは犬猿の仲だったことから、1984年にいわゆる「取材拒否事件」が発生。その後、広告拒否や円高も重なって日刊新愛媛は1986年に廃刊となった。
※この事件は権力者 vs 反権力者という構造よりかは、坪内氏と白石氏との個人的なもつれから生まれたモノだったため、新愛媛の自爆と白石知事(愛媛県)の暴走に冷笑を買う人も多かったという。
八幡浜新聞・八幡浜民報・南海日日新聞
八幡浜市には、かつて3つの地域紙が存在しており、専ら地域の話題に徹した「八幡浜新聞」と、伊方原発に反対の論調をとっていた「八幡浜民報」「南海日日新聞」が存在していた。いずれも既に廃刊となっている。