フィリピンの通貨は「フィリピン・ペソ」が使われている。
「ペソ」という通貨は、元々は旧・スペイン植民地で多く使われていたもので、フィリピンも1565年から1898年まではスペインの植民地支配を受けていた。その後、アメリカがフィリピンを支配すると、アメリカ・ドルと連動するフィリピン・ペソが導入されるも、第二次世界大戦中に日本軍によってフィリピンが占領され、通貨の価値がなくなってしまう。1946年に独立するも、戦後しばらくは経済的な混乱が続き、中央銀行設立後も非常に不安定な状態が続いていたという。
お札の種類
現在のフィリピン・ペソは、1ペソを100センタボに分けて価値を計算する。
おもて
- 20ペソ:マニュエル・ケソン(独立準備政府・初代大統領。1937年にタガログ語を国語と定めたため、「フィリピン語の父」とされる)
- 50ペソ:セルヒオ・オスメニャ(フィリピン大統領・フィリピン自治領大統領・セブ州知事)
- 100ペソ:マニュエル・ロハス(フィリピン自治領大統領・フィリピン第三共和国初代大統領)
- 200ペソ:ディオスダド・マカパガル(第9代フィリピン大統領。「庶民の擁護者」。スペイン帝国からの独立を一方的に宣言し、独立記念日を6月12日に変更したことで知られる)
- 500ペソ:ベニグノ・アキノ・ジュニア(上院議員・タルラック州知事など。独裁政治を敷いたマルコス大統領時代に暗殺される)、コラソン・アキノ(フィリピン第11代大統領。マルコス大統領時代の民主化運動家)
- 1,000ペソ:ホセ・アバド・サントス(フィリピン独立準備政府最高裁判所長官。日本軍侵攻時は大統領代行も兼任)、ビセンチ・リム(日本軍侵攻時に活躍した将軍)、ホセファ・リャネス・エスコダ(女性解放活動家)
1,000ペソに描かれた人物は、旧・日本軍の仕業で全員処刑されているが、その後にフィリピン独立化を目指した経緯があり、多くのフィリピン国民から高く評価・支持されている。20~50ペソは独立運動の過程で活躍した当時の行政の長が表面の顔に対し、唯一、1,000ペソだけは反日的な考えが色濃く滲み出る様子が窺える。
魔理沙「今は日本とフィリピンは仲直りして国交正常化が進んだけど、当時の第二次世界大戦中にフィリピンを侵略した経緯を知ると、最高額がソレってのはなかなか堪えるぜ」
うら
裏面は現在のフィリピンに住み着く生物や、主要観光地を描いている。元々が島国の集合体であるため、自然豊かな景観スポットをアピールする様子が窺える。
入手
このお金は天神の某両替店で入手したもので、店の人からも「あ、趣味で集められてるんですね~。意外とそういう人多いですよ?」とスグに察して下さった。基本的には外国人留学生が日本で労働する際に、フィリピンと日本との間でお金のやりとりをする時に使われる様子。
finance.yahoo.co.jp 気になるお値段だが、1ペソは日本円で約0.37円(2024年3月4日執筆時)。例の両替店は500ペソ札しか扱っていなかったため、執筆段階で両替してもらうと、約1,343円前後で取引してくれる。
これを安いと思うか、高いと思うかは……。あなた次第。