NEXCO中日本管内初上陸を目指した、昨日のドライブ。その際、道中の名神高速にあるコンビニなどで入手した、滋賀県内の新聞を紹介する。
県紙が存在しない「京都・岐阜(西濃)の新聞」
滋賀県の新聞を考察する上で、他県と決定的に異なるのが「滋賀県の新聞(県紙)が全く存在しないこと」。単に全国紙やブロック紙が牛耳って、県紙が埋もれているという程度であれば、首都圏・近畿圏・山口県・三重県などで確認できるものの、滋賀県の場合は郷土となる自分たちの県紙が無いため、全国紙かブロック紙の地域欄で情報を入手する形となる。
滋賀県はびわ湖に囲まれるように東西に広がる土地柄であるため、京都寄りの大津・高島などでは京都新聞の滋賀版が比較的多く、逆に関ヶ原を挟んで岐阜県西濃地方(名古屋都市圏)に近い彦根・長浜などでは中日新聞の滋賀版を購読している世帯がそれなりに点在している。
とは言え、実際には読売新聞と朝日新聞の2紙がシェアを確保しており、全国紙が幅を利かせる辺り、京阪神地域への通勤圏内にあると解釈できよう。このような背景には、やはり大津市周辺ではJR線・京阪電鉄線・(山科経由で)京都市地下鉄線などの交通機関が充実しているのもある。
【版立て情報】
※原則として、全国紙は滋賀県内全域で夕刊発行の対象エリアに含まれるが、一部では夕刊の配達を行わない区域も存在する。
- 滋賀本社:大津市京町4丁目3-33
- 総局:湖南・滋賀北部
- 支局:高島・甲賀・彦根・長浜
ブロック紙の中で比較的購読者が多いとされるのが、隣の洛中にある京都新聞。
実は戦前の滋賀県にも立派な県紙が存在しており、1922年に創刊された「江州日日新聞」がルーツとされている。1942年の一県一紙体制の際に滋賀新聞と改題し、戦後の1955年に休刊。その後、「滋賀日日新聞」として復活するも、1956年に京都新聞社に編入されてしまう。
このような経緯から、県紙そのものは完全に消滅しても、実際には「京都新聞社が隣の滋賀県をカバーする」という視点で見れば、ある種、これが事実上の滋賀県の新聞と捉えることもできる。
紙面構成は京都新聞の府内総合・社会面と同じ。というよりも、京都府と滋賀県の情報を区分けすることなく配置しているような印象を受けた。県域コーナーは2ページ程度。
京都府の話題に偏っている割に、大津市内向けに一定のシェアが確保されているのを考慮すると、やはり京阪方面の経済圏・文化圏と似てると言える。
読売新聞・朝日新聞、それに京都市内に近い大津近郊で多く愛読されている京都新聞ほどではないが、名古屋の中日新聞も、滋賀県向けに新聞を発行している。中日本社がある名古屋都市圏に比べるとかなりの早版であり、夕刊の発行も行っていないことから、読者層はかなり限定的と推測される。
反面、地域欄は「滋賀中日」という副題で4ページ近くも確保。「地域の話題にこだわるなら中日で」といった具合だろうか?
中日新聞の滋賀版は、大津市内のJR線では見つけられなかったが、逆に新名神・甲賀土山インター近くのコンビニにはたくさん発売されていた。「米原駅にも中日があった」という情報があるあたり、この辺は名古屋都市圏に近いかどうかで変わってくるものとみられる。
全国紙
全国紙の地域欄は、他の京都・大阪・兵庫などと同様、概ね2ページ程度で構成されている。
テレビ欄
滋賀県は大阪府の民放をそのまま受信できる環境にあるため、チャンネル番号も若い順に並んでいる。他県と異なるのは、独立局のBBCびわ湖放送が目立つかどうかという程度。
地域紙など
県紙が全く存在しないため、何とか地元の有志たちの手で自らの県紙を作ることが出来ないかと立ち上がったのが、幻の「みんなの滋賀新聞」。発行の準備まではどうにか行ったが、その後で記者クラブや共同通信社への加入を断られ、地域紙として残るにも、衆議院選挙における公職選挙法の絡みで選挙ニュースを掲載できず、あっけなく廃刊に追い込まれた。短命5ヶ月。
地域紙という次元でみれば、東近江市に本社を置く滋賀報知新聞(概ね、滋賀県中部地域が取材対象)、長浜市に本社を置く滋賀夕刊新聞(概ね、滋賀県東部が対象)の2つが存在している。