九州豪雨に伴う緊急報道体制時の新聞や、それ以前にもFGO全面広告の輸送などでお世話になった、同人サークル「横浜新聞研究所」の主宰者・野江乃絵さんからのご提供により、いわゆる「富山(石川)県内で流通している新聞」(新聞の県版カテゴリー)の特別編を、今回ご紹介しましょう。
意外な激戦区・とやま
富山県の新聞も、シンプルに考えれば「全国紙と県紙」の2つが流通している。しかし、具体的に見ていくと、実は富山県・石川県内では「全国紙が東京本社・大阪本社で分かれている」「県紙が隣県にも跨がるモノがある」など、かなり複雑で拡販競争も首都圏並みの激戦区となっている。
版立て
富山県内の取材拠点
読売新聞東京本社・北陸支社
- 北陸本社(高岡支局併設)
- 富山支局
朝日新聞大阪本社
- 富山総局
- 高岡支局
- 魚津支局
毎日新聞大阪本社
- 富山支局
北日本新聞
- 富山本社
- 新川(魚津)支社
- 高岡支社
- 砺波支社
- 氷見総局
- 射水総局
- 南砺総局
- ほか、約20箇所の支局あり。
富山新聞(北國新聞系列)
- 富山本社
- 高岡支社
- 魚津総局
- 砺波総局
- 氷見総局
- ほか、約5箇所の支局あり
北陸中日新聞(中日新聞北陸支社)
- 富山支局
- 高岡支局
- 通信局(魚津・砺波)
全国紙
読売新聞(東京本社・北陸支社)
全国紙の場合は、読売を除いた各紙が大阪本社なのに対し、読売新聞は独自の地域支社である「北陸支社」を構えており、扱いとしては東京本社の北陸出張所のような形態を採っている。
読売新聞東京本社がどうして北陸支社として分離させているのかというと、現在の読売新聞グループを形成する上で欠かせない、故・正力松太郎氏の存在がある(いわゆる「プロ野球の父・原子力の父・テレビ放送の父」とされ、読売中興の祖とも賞された、偉大なる経営者)。正力氏の生まれ故郷はココ、富山県(射水市出身)。正力氏が登場した後の読売にすれば、富山県は「第二の故郷」という側面をも持っている。
戦前~戦後日本における彼の功績を称えるため、扱いは東京本社の下位組織という位置づけながらも、実質的に富山県・石川県独自の全国紙(ブロック紙)を発行することで、両県における一定のシェアの確立に成功している。また、北陸支社では東京本社版の夕刊(3版)も発行しており、首都圏・関西圏と大きく離れた土地柄でありながら、首都圏並みの編成で遣り繰りしている。
但し、北陸支社と言えども、やはり首都圏・関西圏と違って読者の規模はお世辞にも少ない。そのため、取材・編集・配達は北陸支社(東京基準)でありつつも、印刷に関しては地方紙の北日本新聞社に委託している(ムリして夕刊を発行するため、北日本新聞にすれば二度手間が生じている)。
読売以外
一方、それ以外の全国紙(朝日・毎日・日経・産経)は、全て大阪本社管内であり、このうち、朝日新聞に関しては中日新聞北陸支社に、日本経済新聞は北國新聞社に印刷業務を委託している。毎日・産経は大阪で印刷されたモノを輸送する形態らしく、基本的にはJR西日本のKIOSKセブンイレブンなどでない限り、毎日・産経を即売で購読するのは困難に近い。
朝日新聞も、一時期は「富山県は東京志向だから、東京本社管轄にするべき」という考えから、1989年9月より東京本社のもとで取材・編集・発行を行っていたこともあった(名古屋本社の印刷工場でプリントした後、トラックを使って輸送)。しかし、結局は合理化を理由に、2011年4月1日から中日新聞北陸支社に印刷業務を委託、そのまま大阪本社管内に里帰りし、現在に至る。
全国紙のシェアは「読売≫≫≫≫朝日ほか」の順番だが、後述の複雑な県紙が激しい拡販競争を行っていることや、北陸という土地柄上、殆ど出番がない。読売新聞が2019年上半期の地点で約7万部、朝日新聞が約0.6万部という極端な差があるにしても、富山県内では県紙の北日本新聞が約23万部も発行していることから、全国紙に関しては「読売に関しては、大抵、どこのコンビニでも見かける」という感覚で見られているのが一般的だろう。ちなみに、北日本の競合紙・富山新聞(北國新聞系)は約4万部程度しかなく、名前とは裏腹に、お隣・石川県の新聞という印象が拭えない。
参考文献:
県紙・ブロック紙
単純に発行部数だけで見れば、ダントツで発行部数が多いのは北日本新聞。その次に多いのが北國新聞の系列会社が発行する富山新聞。事実上のブロック紙である北陸中日新聞は殆ど流通していない。
北日本新聞
富山県内で最も流通している新聞。1884年に、当時の地元の政界人たちよって作られた「中越新聞」がルーツとなっている。その後、幾度の編入・合併などを繰り返し、いわゆる一県一紙体制の時に県内にあった4つの新聞(富山日報・高岡新聞・北陸日日新聞・北陸タイムス)を無理やり合併する形で北日本新聞が誕生し、現在に至る。
1952年に系列の北陸新聞を隣の石川県で発行するも、スグに身売りして地元の百貨店に経営を移し、その後で中日新聞社の手によって引き取られたのが、いわゆる現在の「北陸中日新聞」である。よって、北日本と北陸中日とは「遠い親戚関係」にある。
地域面は概ね4ページ構成。
富山新聞(北國新聞系列)
北日本新聞における事実上のライバルで、こっちが主要県紙かと勘違いしそうになる。比較的保守的な論調として知られる北國新聞社の富山向けバージョンであり、一部の紙面は北國新聞をそのまま流用している。地域面は概ね4ページ程度。
北陸中日新聞(中日新聞北陸本社)
明確にブロック紙と分類されるモノとしては、中日新聞社の北陸本社(発行所:石川県金沢市)が発行している「北陸中日新聞」がある。と言っても、中身は県版を除けば中日新聞と大差ない(いろんな意味で左傾路線で暴走している東京新聞の紙面を流用する傾向にある)。
富山県内では約0.7万部程度しかなく、基本的には他の販売店に委託している所が多い。なお、隣県の石川県では北陸中日の本社が立地していることや、北陸エリアにおける中日新聞の重要な取材拠点であることも勘案し、約8万部近く流通している。
夕刊
夕刊を発行しているのは、全国紙の読売新聞と、北國新聞(石川県向け)・北陸中日新聞の3紙。富山県内で即売されている場所は限られており、隣の石川県に近い地域では希にコンビニなどで売られているらしい。
テレビ番組表の順番
実は保守・革新、どちらも両立した新聞が流通している
閲覧する側の価値観や受け止め方にも左右されるが、いわゆる保守的な論調は読売新聞・富山新聞(北國系)、対して革新的な論調は北日本・北陸中日・朝日・毎日といった具合。銘柄の数だけ見れば革新派のメディアが多いモノの、朝日・毎日・北陸中日が実質的に富山県内で殆ど流通していないことを踏まえると、概ね五分五分か、やや保守的な土地柄なのかなとも受け止められる。
ただ、こうした論調の違い(極度のイデオロギーは論外)や地域情勢に応じた様々な報道を受け入れることが出来る以上、富山県はとても恵まれているように感じる。 ※作者の主観ですけど……。
最後に
今回は横浜新聞研究所の野江乃絵さんからの温かいご協力のもと、北陸目線の新聞を鑑賞することが出来ました。新聞紙の物々交換という形にはなったものの、遠く離れた北陸の現状を九州の視点から見てみると、日本は狭いようで遠く、複雑で多様な文化に満ちあふれていると実感しています。私の方もムリをお願いしてしまった一面はありますが、お互いそれぞれご協力戴いたことに、深く感謝いたします。ありがとうございました。