そらマメさん鉄道局・流通局

鉄道旅行・新聞の流通考察・雑談がメイン。

ガンジツスゴクオモイシンブン2020(序章)

新年あけましておめでとうございます。

今年も「そらみち見聞録」(ぐるぐるアンバランスシリーズ)をよろしくお願いいたします。

管理人・hiro

 

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ガンジツスゴクオモイシンブン(2018年実施時)

 新聞配達のお仕事も今年で5年目に入るが、配達員にしてみれば、一番鬼門とも言えるのが、元日の超分厚い新聞宅配。通常の新聞が40p入り、それとは別件で第2~5部の別刷り新聞が添付し、プラスアルファでチラシがドッカリと入るため、通常の新聞とはケタ外れな重さになる。宅配時間も大幅に遅延するなど、ホントにウンザリしてくるが、新聞を含めた全ての業界においては、元旦に掲載する「名刺広告」の挿入などで「新年のご挨拶」とするため、元旦に発行される新聞は、まさに神格な存在と言って過言ではない

 

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2018年の時は、JR九州鹿児島本線を軸に新聞を爆買い。

 

 日本全国の新聞発行に関する研究をなさっている横浜新聞研究所様が、元日の例のフリーきっぷを行使して、どこまで元旦に発行される新聞を一部買いできるかチャレンジするという「#ガンジツスゴクオモイシンブン」というのを行っている。私も2018年・2019年で実施したが、今年もそれにチャレンジ。ミルフィーユ状のあの新聞を配り終えた後、一日だけでどこまで一部買いが出来るモノなのかを、身体張って行う予定。ハッキリ言って、タフである(汗

 

 毎年、日本のあまりのレベルの低いジャーナリズム(事実と記者の主観がゴッチャになってミスリードを連発)にウンザリするものの、昨年のカルロス・ゴーンさん亡命騒動を見ても分かるとおり、今の日本のレベルは所詮、そんなもんだと理解するしかない。ただ、ココでは政治的な話やジャーナリズムの重要性などは一切抜きにして、新聞が自宅・駅売り・コンビニに届くまでの「流通における苦労の結晶」を、パッと見で分かる範囲で楽しんでいきましょう。もう、そんな風に悟るしか無いですよ、ハハハハ……orz

 

 今年は高速道路重視の旅を予定している。まずは自分が住む九州島を確実に攻略し、中国地方・四国地方への延伸を確実に行う。高速道路レポートが今以上に充実しますように、と神頼みした上で、新年のご挨拶とさせて戴きます。

 

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(速道そらかさん)今年も宜しく!

国鉄戦力外通告 廃線を宣告された路線たち ●

「なぜ俺が……?」

 

 


「なぜムラに根回しをしないのか……?」

 

 


「そんなに使えないのか……?」

 

 


「まだ鉄道をやっていける……」

 

 


「愛する地域のために、鉄道を続けたい」

 

 


自治体は、最後の試練に立ち向かった。その意外な結末とは……?」

 

 

 

 

 

 

 

鉄道を続けたい 諦めきれない 瀬戸際に立たされた地方自治体の壮絶なドラマ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

国鉄戦力外通告 廃線を宣告された路線たち

 

 裏番組で放送されている、元・プロ野球選手の戦力外通告→トライアウトまでの結果をまとめたドキュメンタリー番組。ココではそのスピンオフ番組「俺たちはプロ野球選手だった」も含めた国鉄戦力外通告を受けた路線のその後」を追っかけてみる。

国鉄戦力外通告の定義

 便宜的に戦力外通告と言っているだけであり、正確に言えば日本国有鉄道経営再建促進特別措置法」(国鉄再建法)に規定する地方交通線のうち、バス転換が適当とされた旅客輸送密度4,000人未満の国鉄路線のことを指すJRグループ誕生前に、段階的に当時の政府主導で実施された廃止・代替交通への転換が相応しい路線を選別。ザックリとみると、

  • 第1次廃止対象路線(1981年9月18日に廃止了承、概ね1987年までに段階的に廃止。盲腸線・極端に営業キロが短く、輸送密度も500人を下回る路線が主)
  • 第2次廃止対象路線(1984年6月22日に廃止了承、概ね1987年までに段階的に廃止。輸送密度が2,000人未満の路線が主)
  • 第3次廃止対象路線(1986年5月27日・10月28日、1987年2月3日に廃止了承。概ね輸送密度が4,000人未満の路線を中心に廃止)

 と、この順番で実施されたことになる。但し、当時は並行する道路整備に不完全な場所があったり、積雪対策などを理由に鉄道の方が効率的な輸送を実施できるなどの理由で、廃止を免れた路線も少なからず存在する。とは言え、自分たちのムラのシンボルであった国鉄が廃止されることに憤りを覚える自治体ばかりで、廃止を免れるためにあの手この手で妨害工作を行ったのも事実。そうした葛藤と戦いながらも、結局は自治体が鉄道を運行する」「バス路線に転換」「廃止を受け入れて自然に帰す」のどれかで戦力外(≒廃止)を受け入れた。

 但し、廃止後も地元に根回しをするような制度にはなっており、例えばバス・第3セクター方式に変わった後も、数年間は国からの補助を受けられたり、自治体が廃止を受け入れるように見せかけて、転換後の協議を全く行わない姿勢が認められたら遠慮無く戦力外通告を発動するなど、当時の政府も計画倒れに終わった「赤字83線」の反省を活かして「アメとムチ」で対応していた。

戦力外通告を受けた路線が豊富に眠る「筑豊

 石炭産業で発展した福岡県筑豊地方は、エネルギー革命で炭鉱の役目を終えた後は、国鉄にとってお荷物だらけとなった。収益改善も全く期待できないことから、ごく一部を除き、殆どが1987年のJR九州発足前までに戦力外を受け、JR九州になった後も1988年頃までに戦力外となってバス転換・道路整備への転換を余儀なくされている。

戦力外通告を受けた、筑豊の路線】

  • 香月線:(戦力外)→バスに転換しつつ、道路整備で代替。
  • 添田線:(戦力外)→バスに転換しつつ、道路整備で代替。
  • 室木線:(戦力外)→バスに転換しつつ、道路整備で代替。
  • 漆生線:(戦力外)→バスに転換しつつ、道路整備で代替。
  • 上山田線JR九州→(戦力外)→バスに転換しつつ、道路整備で代替。
  • 伊田線JR九州→(戦力外)→平成筑豊鉄道に転換。
  • 田川線JR九州→(戦力外)→平成筑豊鉄道に転換。
  • 金田線:JR九州→(戦力外)→平成筑豊鉄道に転換。
  • 宮田線JR九州→(戦力外)→バス転換

 早々と戦力外通告を受けた国鉄路線の殆どは、自動車交通に転換すべく、道路整備に切り替わっている。自然に帰した結果、当時の国鉄の遺産がごく僅かに残る場所もチラホラとは確認できるが、国鉄分割民営化から30年以上が経過した現在では、当時の面影はほぼないと考えた方が良いだろう。

俺たちは「国鉄」だった(福岡県内で、実際に訪問したことがある所のみ)

添田線(第1次戦力外通告

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添田線跡地に出来た「道の駅おおとう桜街道」

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添田町役場には、当時の駅名標と車両が展示されている。

 炭鉱産業が終わった1970年代以降は、末期まで極端に本数が少なく、日本一の大赤字路線として悪名高い路線だった。なので早々と戦力外通告。現在は道路になっているが、上伊田駅付近からの分岐付近には、当時の遺産がごく僅かに残っている。

 並行して日田彦山線があるものの、こちらも今後10~20年の間に戦力外通告を受けかねない程に輸送密度が減少しつつある。

甘木線(第1次戦力外通告

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甘木線を廃止したくない、という強い思いで、どうにか存続。

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太刀洗駅は平和記念館最寄り駅。当時の空軍練習機を展示している。

 JR基山駅から分岐し、小郡市筑前町を経て朝倉市甘木駅に至る盲腸線で、1919年に開設された陸軍・太刀洗飛行場への輸送を強化するため、以前から地元自治体による鉄道誘致も兼ねて1939年に開業した路線。

 戦後、太刀洗飛行場が廃止されると、その地にキリンビール福岡工場が開業し、専用線を設けるなど、産業路線としても活躍した。しかし、自動車運送が主流になると甘木線の需要は低下。

 1981年に第1次戦力外通告を受けたが、地元自治体が関与する形で第3セクター方式の鉄道会社へ転換する道を選択。1986年4月1日、当時の国鉄から現在の甘木鉄道へ転換。国鉄末期では1日数本しかなかったダイヤも、現在は最低1時間に1本の割合で運行するなど、福岡都市圏へのアクセスがやや不十分な朝倉市において、その代替交通を確保させている。

 気動車ではなく「レールバス」という言い方をするあたり、ある種のコミュニティーバスとしての運用といった解釈も出来る。

矢部線(第1次戦力外通告

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黒木駅に保管されているSL

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殆ど道路に転換されており、面影は皆無に近い。

 JR羽犬塚駅から現在の八女市黒木町に位置する黒木駅に至る盲腸線。「矢部線」と言っておきながら、本来の終点予定地であった旧・矢部村への到達は出来なかった。計画では現在の国道442号に並行して、大分県日田市中津江村を経由し、熊本県小国町に位置する国鉄宮原線・肥後小国駅に到達するという、今では無謀としか言いようのない計画だった。

 森林が豊富な筑後南部の木材を運搬するのが主な理由だが、時代についていくことが出来ず、人口減少も重なって、早々と戦力外通告を受けている。現在は地元の堀川バスが代替運転をしている。

香月線(第1次戦力外通告

fuwafuwaame.hatenablog.com

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香月線の末端・香月駅跡地。

 筑豊本線・中間駅から分岐し、八幡西区香月地区にある香月駅まで結んでいた盲腸線。石炭の輸送が主たる理由で、エネルギー革命後は貨物も廃止される形で利用者が激減。1981年に戦力外通告を言い渡され、1985年に廃止。

漆生線(第2次戦力外通告

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鴨生駅跡地。公園化・道路整備に転換し、当時の鉄道遺品を残している。

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才田駅跡地。ココは当時の屋根がそのまま残されている。

 現在のJR後藤寺線下鴨生駅と、当時の国鉄上山田線・下山田駅とを結ぶショートカット路線。鴨生駅の前後で建設の経緯が異なるモノの、総じて言えば石炭輸送が主たる理由。やはりコレもエネルギー革命後は役立たずとなり、第2次戦力外通告を受けて廃止。その線路沿いを西鉄バスが走っているモノの、本数は国鉄時代とほぼ同水準であり、末端部の才田~嘉穂信号所付近に線路跡が残る以外、道路整備に転換されている。

上山田線(第2次戦力外通告

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道路になった上山田線。大隈駅付近にて。

 現在のJR飯塚駅を起点に、旧・山田市(現在の嘉麻市山田地区)を経由して、JR豊前川崎駅に至る路線。石炭産業が現在もフィーバーしていたら、豊前川崎から更に進んで柚須原苅田港付近まで延長させようとした九州横断鉄道もどき。やはりエネルギー革命には歯が立たなかったため、第2次戦力外通告を受けて廃止。但し、こちらは漆生線と異なり、代替交通手段の確保を理由に、約1年間はJR九州が一時的に担当していた。

佐賀線(第2次戦力外通告

soramameroad.hatenablog.jp

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筑後柳河駅近くに残る、廃線跡地。殆どが道路に転換されてしまい、当時の名残を確認できるのは限定的。

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コレがウワサの!筑後川昇開橋

 鹿児島本線瀬高駅長崎本線佐賀駅とを結ぶショートカット路線。1940年5月に筑後川に架かる筑後川昇開橋」を含めた全線が開業し、計画では現在の国道443号に相当する熊本市菊池市大津町へ到達させるという、九州横断鉄道もどきの路線。

 目玉は何と言っても筑後川昇開橋であり、筑後川を行き来する船舶が国鉄の橋梁と干渉することから、船と有明海の干潮差のタイミングを見計らって、橋げたがアップダウンするというのが印象的だった。だが、時代の変化で、隣に国道208号大川橋・諸富橋が開業すると、事態は一変。「特定の時間だけしか橋げたを動かせない」という難点や、自動車交通の方が圧倒的に移動に有利、佐賀駅を含めた佐賀・筑後地区の輸送には限界があることなどを理由に乗客は減少していき、1984年に戦力外通告

 沿線には大川市の家具産業や味の素の工場があるなど、そこで作られたされた製品を貨物車で行き来することもあった。

 廃線後は佐賀県側がサイクリングロード、福岡県側が一般道+有明海沿岸道路の一部に転換されるなどされ、当時の面影は地元自治体が文化遺産として残している筑後川昇開橋が残る程度にしかない。

伊田線(第3次戦力外通告

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伊田線の起点・直方駅。ココは福岡県が主体となって、平成筑豊鉄道として存続。ヤッタネ!

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最初から複線であるため、今でも利用客がたくさんいるなら、電化していた可能性もあるエース候補だった。

 JR直方駅とJR田川伊田駅との間を結ぶ路線。筑豊東部の田川市直方市を最短で結ぶ元・幹線であり、やはりココも石炭輸送を理由とした路線。ただ、ココは旅客輸送も比較的多かった場所なのか、第3セクター路線としては珍しい「複線」で整備されている。輸送密度が4,000人に満たないという理由で戦力外通告を受けたが、ココは早い段階で福岡県が主体となって第3セクター方式の鉄道会社を作り、JR後も引き続き鉄道で対応していく方針を固めていたため、一時的にJR九州が担当した後は平成筑豊鉄道にバトンタッチ。

 他の平成筑豊鉄道と同様、概ね1時間に1~2本の割合で運行している。まだまだ鉄道人生は続きそうである。

田川線(第3次戦力外通告

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終点の行橋駅にて。バイバ~イ、まったねー!ちくまる君

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源じいの森駅。「ちくまるきっぷ」を買うと、この駅の近くにある温泉へ無料で入れる権利が付いてくる。

 JR田川伊田駅~JR行橋駅の間を結ぶ路線で、石炭輸送を理由に作られた路線。先ほど説明した上山田線柚須原線)の無茶な延伸予定地である柚須原駅も、この路線の道中にある。ココも輸送密度が4,000人を下回る、厳しすぎる条件に耐えきれずに戦力外通告を受けるも、福岡県が第3セクター方式の鉄道で継続する方針を固めていたため、1989年に平成筑豊鉄道にバトンタッチしている。

 通学客の利用が多いものの、日曜日の利用地点でも1両体制で十分にやりくりできる程度の客層。現在はJR線で問題が起きた時の迂回路として使えるかどうか、ぐらいの旅客事業と考えた方が良いだろう。平筑の「ちくまるきっぷ」を購入すると、乗り放題+源じいの森の温泉を1回無料で入浴できる権利が与えられる。

糸田線(第3次戦力外通告

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後藤寺駅に停車中の気動車

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Suicaペンギン)なんで伊田と後藤寺の間を「直通運転」しないの?

 平成筑豊鉄道の本社がある金田駅から分岐し、JR後藤寺駅に至る鉄道路線。後藤寺以南、いわば豊前川崎・添田で採掘された石炭を直方・若松方面へ運搬するために作られたショートカット路線であり(中間点である糸田以南はセメント輸送の経緯もあり)で、エネルギー革命後は役立たずになって戦力外通告。JR伊田とJR後藤寺は1駅しか離れていないのに、なぜかそこへは平筑は乗り入れしない。

危うい「戦力外候補」

fuwafuwaame.hatenablog.com

news.yahoo.co.jp

 言わずもがな、例の日田彦山線の一部区間戦力外通告待ったなしの情勢(そもそも自治体の協力なしで復活できるという考え自体、甘すぎる)だが、決して日田彦山線以外も対岸の火事で済ませられる話ではない。福岡県を始め、日本全国でも人口減少社会・少子高齢化・他の公共交通機関との競争・自然災害への対応などで、減便・ダイヤ見直し・戦力外通告を受ける路線が出てくるのは避けられない。

 自分が住んでる地域には、かつて国鉄矢部線があったものの、私が生まれてスグに戦力外通告を受けたらしく、別に鉄道なしで困ることは全くない。寧ろ、自動車交通が基本となった現代では鉄道輸送は非常に効率が悪く、存続していた場合は住民のお荷物みたいな形で、熱心な鉄道信仰主義者(コレには存続を熱心に説く自治体も含む)とは距離を置いてシラケていただろう。

 戦力外通告を受けたプロ野球選手がトライアウトに受験しても、他球団から一切相手にされずに現役引退を余儀なくされる事例が圧倒的であるのと同様、十分に地域の足として支え続けた鉄道が、時代転換できずに地域の「貨物」になってしまっては元も子もない。いつまでも鉄道(電車・気動車問わない)ありきという考えで思考停止せず、時代に見合った形でセカンドライフとしての交通体制を築けるよう、他の交通モードへの転換を視野に考えなければならない

 そう思うと、ある意味プロ野球選手は潔い(そうでない人も結構いるけど)。悔いが残りすぎて、徹底的に拒否してムラの圧力でどうにかなると思ってる某・自治体を見てると、ホントにタチ悪いなぁとつくづく感じてしまうのです……。そんな横暴な姿勢でJR九州や福岡県・国交省などと交渉し、どっかの県議会のセンセイ方と一緒にドンチャン騒ぎ&署名活動をしている様子を見ていると、まあ、来年のダイヤ改正前までに戦力外通告を受けて断末魔を叫ぶ光景が、ますます現実的になりそうな予感がするのです。

戦力外通告 第2の人生を生き抜く男たち

戦力外通告 第2の人生を生き抜く男たち

 

バース・デイ ~昭和末期生まれのおっさんが見た感想~

 地元の人たちを中心に「昔はココに国鉄が走っとったんちゃんねー」みたいに語られると、そうした歴史をよく知らない私にしたら「はぁ、そうなんですか」で終わる。歴史の伝達は極めて難しいものの、直接的に見れば国鉄の遺品があること、間接的にみれば当時の社会情勢や産業構造・財政状況・鉄道以外の社会資本整備の状況などが複雑に重なったが故の鉄道社会であったことは理解できる。なぜならば、当時の記憶を残そうと、媒体問わずに記録することが出来たからに他ならない。

 しかしながら、国鉄時代を知らない私が「遠い過去の話」のように感じるのは、実際にその国鉄車両に乗ったことがないからに尽きる国鉄時代は政治家の介入を思う存分味わって無理やり国鉄が誕生していたのに対し、JRに変わってからは利益追及と公共財のバランスを考えながら鉄道事業を行っていく方針に変わっている。山里の奥にぽつーんと国鉄の名残が残っていると「当時はココが産業の主戦場であり、同時にこうした山奥にひっそり住んでる住人に対しても、相当の政治力を働かせて誘致させたんだな」と、半分は誘致した側の言い分が分かりつつも、残る半分はついつい現代社会との比較をしてしまいがちである。

 そうした複雑な状況のもとで国鉄路線を網の目のように整備することが、果たして経済発展、ゆくゆくは全体の国益となって生活向上に役立つモノなのかと考えさせられる。

歴史は繰り返すのか?

 国鉄戦力外路線の多くは「産業路線としての役目を終えたもの」として認識されており、特に廃線が目立つ筑豊地域の場合は、炭鉱産業から石油産業への切り替わりが出来ずにそのまま終焉の道を辿った。明確な理由があって建設された路線もある一方で、いわゆる「我田引水」のようなノリで建設した場所も、残念ながらたくさんある

 私が一度は訪問してみたいなと思う国鉄戦力外路線の一つに、いわゆる豊前川崎駅油須原駅までをショートカットで結ぶ計画だった「油須原線」がある。この路線に関しては、当初は石炭産業の強化を図る目的でショートカット路線を建設するのが主たる理由だったが、需要低下で必要ないと判断。しかし、「俺はまだやれる!」という当時の自治体の思惑で強引に突き進もうとするも、結局はムリという理由で建設を断念し、一度も1軍マウンドに上がることなく戦力外通告を受けている。現在は分岐点となる赤村側が不定期でトロッコ列車を運行し、当時の想いを伝えているそうだ。

 絶対に必要と叫ぶ地域ほど、実は自治体の視点のみで語られた主観であり、客観的にみて日本全体の経済発展に繋がる路線であったのかどうかで考えると、我田引水的に建設された路線の多くが「ココに鉄道があると便利なのに」という単純な想いから来ている。もちろん、その考え自体は実に結構な話だし、利便性向上に繋がって地域産業の発展に繋がるのであれば、実にハッピーハッピーな展開になるだろう。

 しかし、鉄道路線(さらには高速道路網)が整備されればされるほど、より一層の大都会一極化が進む(最初は日帰り旅行で福岡・北九州へ向かい、それが面倒になってくるとそこに移転し、村の人口が減っていくストロー効果という現実が待っている。プロ野球選手同様、現実はそんな単純な話ではない。

 現代社会において、戦力外通告を受けた路線の当時の遺品を見ていく上で、過去と現代、そして未来を考える上で、失敗を繰り返さないようにするための先人たちのヒントが隠されているのではないかと考える。利便性を選ぶ反面、その代償で衰退化という選択肢を受け入れるのか、はたまた部分改良程度で我慢し、出来るだけ既存の公共交通機関を積極的に利用する手段を受け入れるか。そして、時代が変化し続けても、その地域で生き残っていくための愛郷心があるかどうか。そうした風に違う視野で物事を考えると、公共財に対する捉え方も随分と変わってくるはずである。

 難しく考える必要はないが、せめて国鉄戦力外路線から学び続ける社会が今後も続いて欲しいと願う。

 誰にでも交通モード転換の岐路は、必ず来る。新たな地域社会に立ち向かい、第2の人生を歩み始める沿線自治体・支えてくれる地域住民・多くの旅行客に、心からのエールを贈りたい。

鉄道と国家─「我田引鉄」の近現代史 (講談社現代新書)

鉄道と国家─「我田引鉄」の近現代史 (講談社現代新書)

 

今年一年を振り返る2019(3) 鉄道旅行編

「本来、ぐるぐるアンバランスシリーズは、高速道路レポートの拡充がメインだったはずなのに、今年はやたらと鉄道移動が多すぎやしませんか?」というツッコミが入りそうな年だった。はい、そうです。まさに鉄道主体でしたね……orz

 

 でも、来年は再び「高速道路主体」に変えていきますよ。

主な鉄道旅行

1月 大阪旅行(イコちゃんの里帰り)

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山陽新幹線の「グリーン席」に座れて、極楽、極楽♪

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イコちゃんの故郷・大阪に里帰り!

 JR西日本の元旦乗り放題きっぷを事前に12月に手配しておき、元日のミルフィーユ状態(いわゆる「元日凄く重い新聞」)を配った後、そのまま博多→新神戸・新大阪→大阪環状線へ向かった。環状線そのものは1日で十分余裕を持ってクリア出来るものの、冬は日没時間が短いため、あまり満足した環状線めぐりが出来ず、時間も読めずで色々と課題を残してしまった。京阪神地域をゆっくり巡る場合は、最低でも1泊2日の旅行工程を組んだ方が良さそうだ。

 

 家に帰って一眠りした後、翌日の新聞休刊日はJR九州の在来線乗り放題きっぷを買って、福北ゆたか線の駅めぐりを中心に行動してた。

3月 2019年ダイヤ改正後のお試し乗車、その後でSUGOCAカエル君が消えてしまう

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糸島高校前駅

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香椎線にBEC819系「DENCHA」投入で、擬似的に電化!

 2019年春のダイヤ改正で、筑肥線の糸島高校前駅が開業し、香椎線を走っていたボロ気動車が全てDENCHAと交換になり、まさに平成から令和にバトンタッチした気分を味わっていた。元々、2019年は電車・気動車旅行をメインに考えていたため、これからもSUGOCAのカエル君などと一緒にJR九州・西日本管内を旅するぞーと意気込んでいた矢先、折尾駅でカエル君ストラップを見失ってしまう

 最初は悲しかったが、今はイコちゃんファミリーやSuicaペンギンがたくさんいたり、SUGOCAカエル君の代替役としてnimocaフェレット君が頑張るようになったため、カエル君なしでも十分にウェブサイトやTwitterの実況中継を行えた(特定のキャラに依存しすぎない)のは幸いである。

4月 さよなら「平成」

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平成最後の日に「平成駅」に無事に行けた。

 明仁天皇(現・上皇)の退位に伴い、4月30日で平成時代が終わった。そこで、平成最後の日に、熊本駅の隣にある平成駅に行ってみようという企画を実施したが、考えることはみんな一緒。普段は単なるローカル駅なはずの平成駅(周辺は住宅街とロードサイド店舗があるだけ)も、平成が終わろうとするこの日は、特に異様なまでに客が殺到していた。夕刊配達があったので、入場券を買ったら早々と退散。

6月 広島シティネットワークへ地ならし

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「國鐵廣嶋」が完全に無くなった後でやってきた、広島シティネットワーク。

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自分のハンドルネームにあやかった駅にも「聖地巡礼

 基本的には暇だったからと言うのが理由だが、一応、夏の18きっぷでも広島シティネットワークを出来るだけクリアしたいと思い、e5489で新幹線きっぷを手配した上で広島都市圏へ。今年のダイヤ改正国電車両が全て撤去・別の地域へ転属されてしまい、鉄道ファンの間で揶揄的に言われ続けていた「國鐵廣島」が事実上、無くなった。山口県内を除いて、私は國鐵廣島時代の広島シティネットワークを体験することなく、一気に現代的な広島都市圏を味わうことになったため、端から見りゃ「まあ、コレが普通なんじゃ無いの?」程度にしか見ていない。

 まあ、自分のハンドルネームにあやかり、広駅に行けただけでも良し(^^; 

7月 小倉・京築旅行

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中津駅前にそびえ立つ福沢諭吉

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福岡県民でありながら、小倉城へ生まれて初めて登った。

 親が列車に乗りたいとはしゃぐため、今回は親がスポンサーになる形で小倉旅行。そのついでに中津駅にも向かったが、正直、日豊本線は普通の在来線利用をまともに使うことが出来るの、せいぜい新田原までやなと思った(新田原~別府・大分都市圏までは、事実上の特急専用線

7月~9月 夏の青春18きっぷ+α

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灼熱の真夏に、18きっぷ山口県区間山陽線駅めぐり。JR時刻表とにらめっこしていた。

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18きっぷで移動できる、鉄路以外の交通手段「JR宮島フェリー」にも乗船。DISCOVER WEST.

 1回目は香椎線・2回目は山口県内の山陽線駅めぐり・3回目は熊日の夕刊を買う理由で熊本市内(台風接近なのに)・4回目は北九州都市圏をぶらり・5回目は広島都市圏の山陽本線駅めぐりを重点的に行った。十分に元を取り返し、高速道路や国道とは違った街並みの風景や地域の風情を楽しむことが出来て、ホントにいい思い出になったと思う。

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満喫きっぷの余りを利用して、筑肥線の末端へ。そこまでは「ゾンビランドサガ号」で移動。

 18きっぷの使用期限とは別に、7月に購入した満喫きっぷがあと1回分残っていたため、満喫きっぷの使用期限前までに消費する目的で福岡都市圏へ。筑肥線の駅めぐりをした後、飛び地となっている伊万里方面の筑肥線へは、ゾンビランドサガのラッピング車両(キハ125系)で伊万里駅を目指した。フランシュシュの皆様方の力を借りて(?)、伊万里駅に到達したのは感動的だったが、それと同時に、MR松浦鉄道の前哨戦とも言えるMR線側の伊万里駅も攻略。

 10月 即位の日に合わせて「令和」の故郷へ旅行

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ご即位と駅名変更を祝し……。天 皇 陛 下 万 歳!!!!

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本八幡宮にもちゃんと参拝。

 10月23日は即位の礼に伴う祝日だったため、この日で駅名が修正される西鉄電車都府楼前駅(令和の里)へ。そのまま坂本八幡宮へ向かい、一足お先に令和駅を名乗った平成筑豊鉄道の方にも行こうとしたが、金田駅で乗り間違えたのでヤル気伏せる。

11月 国鉄戦力外路線の旅路

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昔は国鉄最西端だった、MR線でもっとも行きづらい「たびら平戸口駅

 野球改め、「鉄道を続けたい、諦めきれない自治体の、生き残りを賭けた壮絶な存続運動。国鉄戦力外通告。満喫きっぷの効力を活用し、一度は国鉄戦力外通告を受けたモノの、自治体が主体となって運営している第3セクター路線に乗ってみようという企画で、11月はMR松浦鉄道を「完乗」した。国鉄最西端の駅とされた平戸口へは、普通にクルマを使った方が早く行けるのだが、敢えて鉄道で移動することで、自動車とは違った喜びを味わえたのは嬉しかったかなと思う。

12月 トドメは1日で在福エリアの鉄道会社の路線をどれだけ巡れるか、勝負!

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西鉄電車の「子分」。コレは電車なのか、バスなのか?

 九州満喫きっぷのタイトル通り、日没までに一体、どれだけの鉄道事業者の列車に乗れるかという、かなりメチャクチャな旅をした。具体的にはJR九州甘木鉄道西鉄電車福岡市地下鉄JR九州平成筑豊鉄道JR九州→(下関駅JR西日本と接続)→北九州モノレールJR九州筑豊電気鉄道JR九州の順番であり、JR九州JR西日本をそれぞれ1社局としてカウントした場合、合計8社局も巡ることが出来た。そうやって移動した割には、合計運賃を足してもせいぜい6,000円程度。

 

 こう見てみると、福岡県内の鉄道は、福岡・北九州都市圏では相応の客がいる一方、それ以外だと国鉄戦力外路線も含めて空気輸送が目立つなど、かなりバラツキ感が激しかった。福岡県言えども、基本的には自動車交通が主体のお国柄。そのような状況下でも、ちゃんと現実的に落ち着きながらも鉄道を残し、地域輸送に徹するように努力しているんだなー、なんて思ってた(小並感)。

まとめ

 こうした大移動が出来るのは、何と言っても「旅名人の九州満喫きっぷ」と「青春18きっぷ」という、2大巨頭フリーきっぷの存在があるからと言える。鉄道事業者ごとにフリーきっぷは発売されているが、JR九州のソレは、九州各地にある鉄道が特急・新幹線に乗らない限りは、原則として無条件で乗り放題になる訳だから、このきっぷの力を借りない手は無いだろう。

 

 来年は原点に帰って高速道路旅行をしていきたいが、同時にJR九州の観光列車や、未だ多くの場所に残る国鉄戦力外路線などにも乗車してみたい。

今年一年を振り返る2019(1) 全般的な話、やっぱし鉄道移動の偏重にならざるを得なかった。

 今年一年を振り返る上で、やはり目立ったのが鉄道旅行

 

 ホントはハイウェイドライブがしたいのに鉄道に振り向くのは、朝刊・夕刊配達をしている限りは時間的制約に縛られることや、朝刊の配達部数が極端に多いため、高齢化も相まって、その疲れがドッと来てしまう所が大きい。

 

 たくさん配達をしているからこそ、そこそこの収入があるわけで、最初の頃は「よ~し、しっかりと準備万端だから、今度こそ西日本高速会社線をCompleteするぞ!」と思っても、20代の頃と違って身体の動きが鈍く感じられる。単に歳が行っただけなのに、20代の頃のような機敏さが失われているのは、やはり人間の心理というモノなのかと感銘深く受ける所があるかなと思う。

 

 そりゃあ、今の仕事がイヤなら辞めれば良いって話だが、辞めたら辞めたで収入が途絶えることや、ムラ社会の中で生活をしている以上、退職しても店があの手この手で引き留めよう・強引に再雇用させよう、というオチが見えているのもある。けど、一番の理由は、何だかんだ不満はあれど、基本的には今の仕事は誇りを持ってやっているし、転職も今の地点では考える必要が無いと判断しているからだ

 

 はよ福岡に移り住みたい……とつくづく思うものの、それすら面倒くさく感じられる地点で、何だかなー、みたいに思ってしまう所で、中年まっしぐらですわな。はい、そう悟ってます(^^;

 

 でも、その一方で、今まで自分の中では「高速道路大好きで一本化していく」という考えが見直されて、自前で移動する高速道路とは違った、公共交通機関の在り方を考えさせられる視点からみて、敢えて鉄道旅行を楽しむと言うのも、別に悪くはないかなと見ている。自分は特にコレと言った高速道路の得意分野がある訳ではなく、オールマイティーで物事を立体的に考えていくスタンス。なので、ムリしてテレビに出よう雑誌に出たい、みたいな発想にはならない(理想じゃあるけど、若い頃と違って、ぜんぶ妄想で済ませてます^^;

 

 いずれは行動に制約が起きる時が来る以上、今後は道路趣味を前提としつつも、一方ではJR線・西鉄電車西鉄バスといった公共交通、さらにはそこから派生して、都市開発・まちづくり・新しい交通システムへの転換といった話にも上手い具合に転換出来れば、それはそれで幸せなことだと考えてる

 

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今後は「自力で運転」から「乗せてってもらう」に、視点の転換が加速するかも?

 

 新聞配達の仕事をし始めて、まもなく5年が経過するが、その間に自分の中での考え方も大きく変化していった。令和時代のタイムスケジュールみたいなのを想像したら、まあ、こんな風になっていくのが現実的・理想的なのかな~なんて言いつつ、今年一年のザックリ感想(全般的な話)に関するシメとさせて戴きます。

 

  • 30代後半~50代:ハイウェイドライブが主体、でも公共交通機関も何だかんだ言って楽しんでそう。
  • 50代後半~70代:公共交通が主体
  • 70代以降:老人パスなどで公共交通を楽しみつつ、家で読書をひたすら続けている?

 

 来年こそは「時速60キロトラップゾーン&山陰道しまなみ海道」へ行くぞ!原点回帰だ~ orz

今日は「平日」ですよ!

www8.cao.go.jp

 いつもなら、本日12月23日は「天皇誕生日」という訳で祝日扱いだったが、明仁天皇の退位に伴って平成時代が終わり、代わって5月1日から始まった令和時代では、徳仁天皇の誕生日が毎年2月23日であることから、その日に天皇誕生日は引っ越しとなる。

 

 なので、本日、12月23日は「平日」ですよ!

 

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平成の天皇だった「明仁上皇」のお誕生日であって、祝日ではありません!

 

 大切なことなのでもう一回。

 

本日、12月23日は「平日」ですよ!大切なことなので2回言いました orz

 

【参考】2020年の祝日予定日

普段とは異なる祝日が設定されているのは、全部、東京オリンピックパラリンピック開催に伴うものです。

 

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日本でBRTが進まない理由

www.nikkei.com

 日田彦山線の存続問題、相変わらず平行線を辿ったままであり、特にJR線が丸ごと無くなる東峰村では、もはや完全な感情論の状態でリング外乱闘を繰り返す始末である。そもそも鉄道での復旧を目指すのであれば、少なくともJR線の概念が無くなる東峰村も含めて積極的に公的資金を投入するべきであり、そこでJR九州と妥協した上で復旧するべきこと。「一切カネは出さない、それでいて何でもJRが悪い」という姿勢では、百歩譲ってでも東峰村側の意見には賛同できない。

 

 もっとも、現実的な復旧方法としてJRが示しているBRT日田彦山線としての在り方はどうなのかという話だが、今回の一件で、強烈な拒絶反応を起こす自治体が出てきたという事例を作ったことになる。

 

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BRT気仙沼線の一例(Wikipediaより引用)

www.jreast.co.jp

 いわゆる災害復旧を理由としたBRT(バス高速輸送システム)の長所と短所を挙げると、

 

長所】

  • 災害復旧費用はさほど掛からない。事例として挙げられるBRT気仙沼線大船渡線の場合も、東日本大震災から約1年程度で暫定的なBRT方式での復活を成し遂げている。
  • バス輸送に転換しても、JR線(旅客鉄道会社が定める営業路線)が無くなる訳ではないため、他のJR乗車券でバスに乗れる。
  • バス専用道路(≒本来の鉄道区間)では、信号待ちを除いた一旦停止の必要性が無いため、定時制はまあまあ優れる。
  • 鉄道路線との乗り換え駅(バス停)は、小細工すれば対面乗り換えが可能。
  • 莫大な負担が掛かる鉄道車両・鉄道施設を簡素化できるため、運用開始後のランニングコストを節約できる。
  • 一般道区間では通常のバスと同じ動き方をするため、病院・市町村役場・ショッピングセンター・官公庁・多目的施設などにバス停を配置しやすく、利便性は高まる。
  • バス増発が行いやすい。
  • 遅延が発生してもバスロケーションシステムの活用で、利用客にその情報を伝達しやすい。

【短所】

  • 鉄道に思い入れのある人ほど、拒絶反応を起こす。
  • バス専用道区間は、あくまでも鉄路をそのまま簡易舗装道路(通常の一般道に見受けられる程の頑丈さはない)で固めただけなので、乗り心地は一般道よりも悪い。
  • バス専用道区間でタイムラグが起きなくても、一般道区間ではその時の交通状況に左右されるため、どうしても鉄道の時と比べると遅延が起こりやすい。
  • 総じて「国鉄戦力外路線」(つまり廃線)跡地にバスを走らせているだけという安直な発想であるため、それならば普通に鉄道で復活させたがマシ(交通モードの融合など、知ったことではない)。
  • 運転士不足の時に対処しづらい(自動運転の実用化はまだ先)。

 

 と、こうなる。

 

 長短所を踏まえて日本のBRTを考えたが、日田彦山線(更には今後、国鉄戦力外路線が発生しうる危ういローカル線)では、短所の技術的な問題という以前の話、「鉄道ありきで復活」で思考停止していることから、鉄道廃止はムラへの裏切り・背信行為という姿勢である。コレは別に東峰村に限った話ではなく、他の人口減に悩まされている沿線沿いを通るJR線・私鉄・第3セクター会社でも同じ問題は噴出する。

 

 ムラの人たちの考えは至ってシンプルで、「例の気動車(電車)が走って駅があって」という日常と思われたオブジェクトが突然、無くなってしまうことに怒りと哀れみを感じているのである。鉄道はそのムラのシンボルなのだろう。

 

 とは言え、いたずらに存続議論を続けても利用者は減り続けるし、沿線人口も深刻な過疎化が進むこと、更にはそれに伴う鉄道会社への負担が重くのしかかる現実を踏まえると、これ以上議論した所で時間稼ぎとしか思われない。世界のように路面電車代わりにバスを走らせるBRTと違い、日本のBRTは「線路が丸ごと廃止されるよりかは、線路の上をバスが走っているだけでもマシ」という感覚であり、プロ野球選手に置き換えて説明すれば「戦力外となった選手を、独立リーグやアマチュア野球の監督に就任させて余命を送る」という次元の話に過ぎない。

 

 交通モードの転換を進めるべきか、それとも地元も自腹で負担することを条件にした上で、鉄路を存続させていくのか。まあ、私としては前者の方が圧倒的に良いし、後者は地元負担であり続けたとしても、JR当局が嫌がれば第3セクター降格などで、結局は戦力外通告へまっしぐらになるしかない。ムラのシンボルという考えも結構な話だが、こだわりすぎて余計に「住みたくない、利用したくない……」って思われては本末転倒だろう。

 

news.yahoo.co.jp

 ちなみにBRT気仙沼線・BRT大船渡線の道を選んだJR東日本は、鉄道事業法に基づく路線廃止手続きを行う予定であり、鉄道としての気仙沼線大船渡線は「戦力外」ということなる(BRT区間での乗車券の扱いや運行上は従来通り)。沿線自治体は「いつかは何らかの形で鉄道で復活して」みたいなことを言ってはいるモノの、町の象徴を残せるのであれば、別にBRT方式になってある程度の復活も出来れば、もうソレでいいんじゃないの?という感覚である。

 

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ココは「電車」は通らない。「気動車」なら通るけど(ツッコむ場所が違う)

 

www.fukuoka-pu.ac.jp

 この前、日田彦山線筑前岩屋駅に行ってきたが、プラカード出して抗議活動を行うくらいなら、せめて自分たちも復旧費用を捻出する形で行えば、こんなに泥沼化することは無かったはず。福岡県やJR九州としては、特にJR線が廃止される東峰村を中心にガス抜き工作を行いつつ、近い将来に戦力外通告を出すんだろうな。

 

 上述の県立大において、東峰村における住民生活に関する調査を行った結果、大声で存続を求める割には、公共交通機関は一切使わないのだとか。だからJR線に並行する西鉄バスもザツなダイヤであって仕方がない。

 

 JR九州は粛々と廃止手続きを行うように。そして、泥沼化する議論に終止符を打つべく、自治体は一定の理解を踏まえて潔く廃止を受け入れることが最も最適な解決手段である。(客観)

MR松浦鉄道 完全乗車の旅(後編)

fuwafuwaame.hatenablog.com

 

fuwafuwaame.hatenablog.com

 前回の続き。佐世保市内に入り、まもなく終点の佐世保駅に差し掛かったところで、中佐世保駅で途中下車してみた。いわゆる「隣の佐世保中央駅とは200mしか離れていない」と言われる駅。

 

 元々、国鉄松浦線時代は佐世保中央駅が存在せず、近くを通る商店街へのアクセスを改善する目的から、MRになった後の1990年に佐世保中央駅が後付けで追加されて現在に至る。ちなみに中佐世保駅は1961年に開業していることから、実は中佐世保は結構歴史が古い。

 

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中佐世保駅。ビル街の一角にヒッソリとあるため、地図があってもどこにあるか分かりづらい。

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国道35号の上空を通るMR線。ビルの前後に駅があるのは、国道沿いからは全く確認できない。

 

 中佐世保駅を降りて四ヶ町商店街の方へ。ここは徒歩で普通に移動する。商店街に入って佐世保中央駅を探していたところ、偶然にも艦これコラボをしている「BIGMAN」という佐世保バーガーのお店を発見。まともに昼食をとってないので、ココに立ち寄って佐世保バーガーを戴きました。店舗内は艦これグッズが盛りだくさんでしたよ。

 

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四ヶ町商店街。写真の奥に佐世保中央駅がある。

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佐世保バーガー専門店・BIGMANでお昼。艦これグッズが凄い……

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いただきます!

 

 昼食後、近くにある佐世保中央駅を見学した後、列車の到着まで少し時間があるために中佐世保まで逆戻り。そこで待機した後で列車に乗車し、後は予定通りに終点のMR佐世保駅に着いた。これでMR線は起点→終点を「列車だけ」で完全乗車!ヤッタネ!!

 

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超短距離だからこそ、2つの駅を往復して暇を潰せる。

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佐世保駅に到着!やったぁ~!MR線Complete!!

 

 時間が迫っているので買物などは特に行わず(長崎新聞すら買わなかった)、みどりの窓口で2枚きっぷの2枚目を指定席に変えて貰い、15時44分発の特急みどり(ハウステンボス)号で博多駅を目指した。朝刊配達が終わってスグに出発したこともあり、あまりに疲れていたので列車内で爆睡した(汗)

 

 博多駅に到着後はいつものラーメンと書籍購入。博多駅は冬のイルミネーションが始まったため、博多口側は物凄く盛り上がってましたよ。

 

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17時34分に博多駅到着!冬なので、17時台で真っ暗。

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博多駅前のイルミネーション。毎年のことやけど、やっぱキレイやわ~

 

 博多駅で要を済ませた後は、いつも通りの区間快速でJR久留米駅へ。ココは手持ちの満喫きっぷで。JR久留米駅に着いたのが19時45分頃、家に着いたのが20時45分頃でした。

 

 全体を通じて見てると、そんなに列車の乗り継ぎをしている訳ではないのに、なぜか時間が掛かりすぎている。ザッと分析すると、

 

  • 昼間時の日照時間
  • JR線での特急・普通列車の待機時間(今回は武雄温泉駅以外では、そこまで酷くは無かった)
  • MR線の移動時間(気動車による移動なので、どうしてもスピードが出ない。また、一部区間はアップダウンやグネグネした海岸線をも通るため、必然的に到達時間が遅れる)
  • たびら平戸口駅での待機時間(1時間半)
  • 佐世保佐世保中央での寄り道

 

 などで大きく時間損失している。今回は旅行なのでコレばかりは仕方が無いのだが、これを「通勤・通学」として捉えるならば、微妙。佐世保⇔佐々までは佐世保都市圏の一角を担う路線として使い道はあるが、他は有田⇔伊万里がJR特急駅への乗り継ぎを勘案する以外、基本的には観光用途だと考える。

 

【今日の満喫きっぷ(2回目)】

合計:4,360円 1回目からの合算:8,740円

別料金 博多⇔佐世保2枚きっぷ 4,700円